第2回オレンジクロスシンポジウム
- 日時
- 2016年7月15日(金)
- 会場
- トラストシティカンファレンス京橋STUDIO2・3(京橋トラストタワー4F)
- 演者
- 国立研究開発法人産業技術開発研究所 ロボットイノベーション研究センター 研究センター長 比留川博久氏
- 演題
- 「自立支援を目指すロボット介護機器」
第1部 エピソードコンテスト表彰式
このエピソードコンテストは、現場で活躍している方にフォーカスし“ 現場での思いをみな様と共有したい” との財団設立者の意思によりスタートしました。
まず、記念すべき弊財団主催の第2回エピソードコンテストにて、素晴らしい数多くのご応募に心から感謝を申し上げます。
選考委員会にて厳正な選考を行い、大賞・優秀賞を決定しました。当初は、大賞と優秀賞のみの設定でしたが、今回特別に選考委員3名の方々からの強い推薦で選考委員特別賞が選出されました。結果、大賞1編・優秀賞3編・選考委員特別賞1編の計5編の選出となりました。表彰式には、5名中4名が出席され、表彰後に次の受賞スピーチをいただきました。
本コンテストでは弊財団より、大賞に賞金30万円・優秀賞に賞金10万円・選考委員特別賞に5万円が贈呈されました。
選考委員特別賞
「きみえさんちものがたり」
三上薫さん
北海道の夕張からまいりました三上です。このような賞をいただけたこと、大変感激しております。スタッフや先生共々喜びを分かち合い、本日はスタッフ2人と一緒に会場にまいりました。
私も夕張出身で、今回投稿の“ きみえさん” も夕張の私の実家の隣で小さい頃から親交のあった方です。平成24年に定期巡回型サービスが始まり、半年後からきみえさんのお世話を始め、お看取りまで関わらせていただきました。
お亡くなりになった後、ご家族様から『この家を使ってくれないか』との大変貴重なお話をいただき、現在私たちの事務所として使わせていただいています。そのご家族様にも今回の投稿趣旨をお話しし、ご快諾をいただきました。
特別賞の一報に際し、祝電をいただく程、今も仲良くさせていただいています。
夕張市は、高齢化率が約49%。私たちも居宅定期巡回型訪問介護等3つの事業所を運営しておりますが、定期巡回が浸透しないジレンマを抱えています。今後も地域の方々に信頼され、“ ささえるさん“ にお願いしてよかったねといわれるように、頑張りたいと思います。本日はこのような賞をいただき、本当にありがとうございました。
「そばにいてくれたらいいから」
稲葉典子さん
兵庫県西宮市からまいりました稲葉です。普段は訪問看護師として、甲子園球場周辺を自転車で走り回っています。
受賞の一報には大変驚きました。また本日の式典に参加させていただくことができ、心から感謝しております。
今回のエピソードには2人の患者さんに登場していただきました。1人目の方は、私が20年前、看護師4年目で千葉県の病院で働いていた時の方。2人目の方は、今年2月に亡くなられた方。1人目の方と同じ疾患で、男女の違いはありますが、タイトルにある同じ言葉を私に言ってくれた方々です。お二人とも内容を書きとめる事を希望されており、今回“ 言葉” を残すことができ、お披露目もできて、約束が果たせた思いです。
受賞分は個人名の応募でしたが、もう一遍を所属名義でも応募しました。動機は“ 訪問看護の仲間への感謝” を伝えたかったからです。
現在、訪問看護ステーションの管理者の立場ですが、看護師達も様々に悩む中、在宅での看取り支援の中でよくスタッフと共有する言葉があります。選考委員の秋山正子さんの『在宅ケアの不思議な力』という著書にある“ 看取りの過程で、訪問看護師と辛い時間を共有した同志という言葉。思い出を一緒によみがえらせ、その思い出を引き出し、それを引き出す中で肯定的な感情に変わっていける。” 訪問看護の仕事は大好きです。現場の仕事が大好きだからこそ、スタッフにも現場の仕事のことを好きになってもらいたい。優しいコミュニケーションを通じ、患者さん達からも信頼してもらえるステーションづくりを進めたい。その意味でも、自分自身を高めていく必要性を日々痛感しています。
今回の受賞は私の力ではなく、仲間・関係者・患者さん・利用者さんのおかげです。改めて心から感謝を申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。
「今も心に誓った介護」
大澤憲夫さん
現在、神奈川県横須賀で認知症の方が入居されるグループホームで管理者をしております。今回は故郷の青森県津軽地方にて、2年ほど特別養護老人ホームに勤務した時の体験をまとめました。
当時、認知症の方――今、認知症といいますが、昔、痴呆・ぼけ老人という呼び方をしていました。私が勤めた頃が1980年代、認知症の方に対する経験や参考文献などは本当に数えるほどで、アルツハイマーという言葉が珍しい時代でした。介護内容も、30年前は大変でした。漏便・便いじりの防止の為につなぎの服を着せたり、車椅子で転倒しないように縛ったり、ベッドに縛ったり。当時は“ その方の為に! ” との一念でした。しかし、それをおかしいと思う方が後に思いを馳せ、10年、20年かけ、いま介護保険も始まり介護内容もかなり変わってきています。
今も一生懸命、認知症の方のケアのエビデンスを踏まえてやっています。しかしまた10年、30年先に振り返った時、果たして“ あの時は本当にいい介護をしていた” となっているか?――認知症の方は徐々に言葉とか様々な方法をなくしコミュニケーションが困難になる為、介護するわれわれ側が“ 本人はどう思っているのか、どうしてほしいのか”を感じ取り、考えてケアしていかなければいけない。そんな生活環境を整えることで認知症状が進行しない、または軽減していくかもしれない。そうして10年、20年たっても、“ いいケアをしていたね” と思われるような介護を私はしていきたい。今グループホームの管理者としても、それを皆に伝えています。
ケアの仕事は派手ではなく、どこかで皆が憔悴しきってしまう時もあります。しかし、今回の受賞により、エネルギーやパワー・未来に対する希望をいただき、大きな力になりました。これから10年、20年先も頑張っていきたいと思います。
オレンジ大賞
「地域のつながりが生んだ支援」
川手弓枝さん
本日は名誉ある賞を賜り、誠にありがとうございます。
作品の中で私は、支援する側と支援を受ける側の2足のわらじを履いていました。2015年の国内高齢化率は26%。
作品当時における我が家の川手家高齢化率は75%、なんと国内高齢化率の約3倍近い数値。当時の家族構成は、私を除く3名が65歳以上で、要介護3の祖母、要介護5の父、そして家族介護者の母と私という4人暮らし。たんの吸引・経管栄養・摘便など家族介護者が行う必要があり、365日24時間の介護体制でした。15年前に先立った祖父の在宅介護が13年間、父が10年間、祖母が3年間と、通算して在宅介護は23年。私の人生の半分以上が在宅介護と共にありました。
祖父の介護に協力してくれた父は、約10年前に悪性脳腫瘍を発症し、手術の後遺症による右麻痺・失語症・嚥下障害のために寝たきりに。父の名前は義幸( よしゆき) と申します。リハビリ時に理学療法士さんのお言葉“ 義幸さんは本当に奇跡の人だね” を機に、周りの方から奇跡の人と呼ばれ、大層立派な、身に余るもう1つの呼び名を頂戴しました。寝たきりの父のどこに奇跡を感じられたのか?と思い、振り返りました。
父は筋力低下のため、寝たきりでした。よく便秘になり、自力でおならもできず、ガスが溜まる為に苦しがりました。
父は身体が硬くて辛かった中でも、根気よくリハビリに取り組んでくれ、立つとおならが自力で出せるようになり便通に改善がみられました。
また、ある補装具との出会いがあり、自力では全く歩けませんが、これを装着して後ろから介助してもらい、歩かせてもらえるようになりました。ずっとベッドから天井を見上げるのではなく、元気だったころの目線を取り戻し、父がもう一度だけ笑ってくれました。満足げに、誇らしげに、“ 寝たきりになっても、あきらめずにやれば何だってできるのだぞ” と言いたげでした。
昨年9月に父を見送りました。自宅で家族と過ごすことを生きがいとしていた父が、最期を迎えた場所は病院のICUでした。そこに至る治療に関し、家族として大変大きな後悔と罪悪感が残りました。自分だけ生き続けていることが申し訳なく、父に詫びる日々が続き、生きることが辛くなりました。それから半年間、家族以外の人と会うことができなくなり、引きこもり状態で過ごしました。大切な人を亡くした時、残された人は、愛が深いゆえに心が砕けてしまうほどの衝撃を受け、生きていくことがつらくなるほどの危機的状況に陥る場合があるのだということを、父が人生をかけて家族に教えてくれました。
この経験を通し、『もしも家族を亡くした大きな悲しみで日常生活が困難となった場合の支援はあるのだろうか?』を自分に気付かされました。新聞で近所にグリーフカフェができたと知り、「1人ではなく、よかったら一緒に語りませんか」と紹介され、ここに参加したことが社会復帰の第一歩となりました。
大切な人を亡くした時の引きこもり体験とグリーフカフェの参加体験から、地域の中には介護を終えてからも継続した支援を必要としている介護者がいることを身をもって知りました。介護経験のある方や大切な人を亡くされた方の経験が、地域包括ケアシステムの構築にフィードバックされるように、今後とも精進してまいりたいと思います。
4名のスピーチの後に、審査委員長であるシルバー新報の川名編集長が全体の講評を行いました。『設定した評価ポイントは、「仕事への姿勢」・「情熱」・「文章力」・「メッセージ性」でした。しかしなかなか差異はつかず、メッセージ性の僅かな差異で受賞作品が決定しました。オレンジ大賞は満場一致で川手さんでした。保健師時代に経験した連絡ノートを家族として作成し役立てた、その中に“ 自分が支援する側と支援される側との受けとめの違い” をさり気なく盛り込み、且つ非常によく分析されており、理性的な文章でした。私は介護の現場、訪問介護、在宅の現場にはたくさんの宝が眠っていると思います。是非このコンテストを継続され、たくさんのエピソードを発信していただきたいと思います。』
財団では、今年も本コンテストを開催します(2月1日~4月28日、詳細はホームページに掲載)。みな様はもちろん、お近くの方にもご紹介いただき、お互いにいろいろなエピソードを共有して、よりよい在宅ケア・地域包括ケアに向かっていける一助になればと考えています。
第2部 講演会
[演者]
国立研究開発法人産業技術開発研究所
ロボットイノベーション研究センター 研究センター長
比留川博久氏
技術革新がこれからの介護において非常に重要になるといわれる中、介護ロボットがどう進化していくのか?またこれが我々の介護分野をどう変えるのか?その分野についてご講演いただきました。日本の介護ロボットの開発のリーダーであり、また自らもモノをつくられる。そして政策の制度も変えていくというお立場なので、介護の未来を窺う意味でも、当日の参加者には非常に有益なものとなりました。
比留川氏の介護経験は、二十歳過ぎに祖父の介護に接し、在宅介護で夜中に背中を押すことが一晩に5、6回。「あまり寝られず入院まで3か月、弟と一晩交代で結構きつかったことを鮮明に覚えています。また祖母は長らく入院していましたが、両名共に当時床ずれを防ぐ技術がなく、それも肉がみえるような床ずれができて“ 何もできない” 非常に無力さを感じていました。」ひと世代を過ぎて父親が2年前に亡くなり、いまは84歳の母親が日常生活を何とか家で送っている状態。
『この母親に自分の仕事が間に合うかもしれない』―――
最近、経産省にAMED(日本医療研究開発機構)が設置され、ロボット介護機器のプロジェクトが運営されています。非常に大きなプロジェクトで、予算が年間20億円。民間企業も48社参加。同プロジェクトに関する8分野を順番にご紹介(移乗支援・排泄支援・入浴支援など)。実例で“ 重篤な事故の9割は浴槽”(東京消防庁データ)などを挙げながら、製品がリスクとベネフィットの関係でどう受容されるか、また本質安全設計のアセスメントシートをどうつくるかに至るまでの説明を詳細にお話いただきました。
目標については、「何より役に立ちたい。それぞれ介護される側は参加活動をしたい。やはり世の中に最後まで参加して、友達に会いに行きたい、例えばお芝居を見に行きたい等。また介護する人の『やりがい』が増えてほしい。作業負担も多いよりは少ない方がいい。介護事業者には利益が増大してほしい。事故も少ない方がいい。今、人手不足が深刻なので、離職率が低い方がいい。行政からすると、多分一番大きいのは総介護費の抑制。3.6兆円で始まって最後9兆円ですから。」
比留川氏自身も方向性としては、自立支援を目指すのが一番いいと感じられており、“ トイレに自分で行ける、したい移動ができる、行きたいところへ行ける、できれば自宅で暮らす” それらを支援する機器ができるのが一番いい。何がそれに適しているかは、屋外移動支援、屋内移動支援、非装着型移乗支援、見守り。技術的にも経営面からも課題がありますが、実用化の鍵は有用性と安全性。そして現実的に、小型化や簡素化への対応は1~2年で目途がつきそうだが、まだ時間が掛りそうなのは高いコストへの対応。
現在、介護会社の事故データを全部産総研へ渡して分析中。事故報告をすれば、それによって学びがあり、現場で事故を減らすOJTにもなり、原因の究明に繋がる。産総研と一緒につくったフォーマットに従い収集してきたデータは、非常に将来に使えるデータになってまいりました。科学と組むことで現場は進化できると感じています。