第9回 看護・介護エピソードコンテスト『猛吹雪をゆく訪問入浴』
村山 祐太さん
村山 祐太さん
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(川端康成『雪国』)
景色を眺めれば小説の書き出しが心地よく響きますが、いざ暮らせば猛吹雪の中でスコップを握り、大汗かいてタイヤの下の雪を掘ることになります。新潟県に住んでいた頃のこと、浴槽を積んだ四駆の軽自動車は雪の吹き溜まりでは『カメになる』もので、男手ひとつ、私が率先してタイヤの前の雪を力いっぱい掘っていきます。地元のおばちゃんであるベテランスタッフの見事なアクセルの強弱で、難所を乗り越えて辿り着くは4mの雪壁に囲まれた集落のなかの一軒家。予定時刻よりも20分を過ぎていましたが、“この雪の中よく来てくれた”と言わんばかりの笑顔でお婆さんが迎え入れてくれます。寝たきりの90歳のご主人のため、私たちは7㎞離れた事務所から真っ白な山道を越えて訪問入浴でやってきました。こんな豪雪地域にも地域包括ケアシステムはちゃんと敷かれているのです。
3日ぶりの温かなお湯につかって気持ち良さそうなお爺さん、雪堀りから入浴準備まで続けて動いてきて滲んだままの私の汗を見つけて笑って話しました。
「いつもへそ曲がりな爺さ婆さの相手じゃ疲れるろぉ?」
「なじょ、爺さみたく面白く口が回る人ばっかだっけ」
農家でもある先輩スタッフのおばちゃんがユニークに切り返し、20分の入浴は饒舌に包まれて笑顔に満ちて過ぎていきます。埼玉県の都市部から引っ越してきた私は明るい農家の暮らしの雰囲気に圧倒されるばかりでしたが、ふと顔を上げると部屋に掛けられた写真が目に留まりました。30年前か50年前か、戦前の写真もあります。仏壇の上にお爺さんの先祖の写真が6枚掛けられていて、「わしが分家に出て4代目だ」と教えてくれました。子供たちはみんな家を出て関東で暮らしていて、つまりこの家に跡取りはいなくて、先祖代々の家をこのお爺さんで閉じようとしています。「本家ももう無くなっていて、墓守に時々親戚が来るばかりになっちゃって」とお婆さんが補足してくれます。「この集落もあと4軒で、うちのおっとぅが亡くなったらみんな一人暮らしになら」とボソッと寂しそうに続けました。昭和の一番賑やかだった頃、家は40軒を超え、集落には200人近くもの人が暮らしていたとのことです。一人、また一人と村を去り、この世を去り、この家も50年前は8人の大家族だったけど、連綿と続いた暮らしが最期を迎えようとしています。「爺さ、お疲れさま、ゆっくり温まってってけね」先輩のおばちゃんが優しく声をかけます。おばちゃんは近くの集落に住んでいて、15年前に村の事業で集落の母さんたちが揃ってヘルパーの資格を取ってこの仕事で働き始めたのだとか。先日も味噌を仕込んだと言っていて、冬の農家らしい日々を教えてくれました。
お爺さんの身体を拭く丁寧で柔らかなおばちゃんの手の動きはとても心地よかったです。「本当に気持ち良さそうでしたね、拭き方が上手で勉強になります」と帰りの車でおばちゃんに伝えました。「私も35年前に嫁に来たんだけど、旦那さまは優しかったけど家にいた義姉さんや義兄さんが意地悪でね、つらくて何度も実家に帰ったっけ。うちのおとうは私の気持ちを感じとってくれて、『嫁だから我慢しろ』なんて一切言わず黙って迎えてくれた。10年前におとうが病気で寝込んでしまってじきに亡くなったけど、最期はよくタオルでおとうの身体を拭いてあげたっけ。そしたら私がつらかった時のおとうの優しさが思い出されて、ありがとねってとにかく丁寧に丁寧に拭いてあげようって気持ちになって。その時の感覚を思い出しながらこの仕事でも爺さ婆さの身体を流させてもらってるっけね」
少し目に涙が浮かんでいるようでした。教科書や実習で身につけられる知識や技術だけでなく、さまざまな人生経験が介護に生きていて、おばちゃんは丁寧な拭き方と楽しい会話で高齢者の幸せにつなげていました。事故なく入浴してもらうだけがこの仕事の目的だと私は考えていましたが、その手から、言葉から、最期を迎えようとする高齢者にお風呂以上に温かいものを与えられるのだと教えてもらいました。
そしてこの集落で暮らし、先祖代々の家で最期を迎えるお爺さんお婆さんたちが背負う歴史の大きさは、都市部で暮らしていたままの私では気付けなかった“一人の一生の意義”を鮮明に刻んでくれました。介護という営みはすごく大らかな意味のあるもので、高齢者の幸せに寄り添うということは心の深くから発する感性を丁寧に養わないといけないのだと深く学びました。
3月になれば春の陽気を浴びて雪の壁が少しずつ縮んでいきます。ようやく終わる冬の厳しさに解放感で満たされるなか、雪解けの集落からあのお爺さんが亡くなられたとの報せが事務所に届きました。苦しまずに、あの家でそっと静かに息を引き取られたとのことです。
4月には雪国も花の季節となり、梅も桜も同時に咲いて見事な百花繚乱となって惚れ惚れとするほどです。いのち芽生える季節の意味が、本当に尊いことなのだと噛みしめる春でした。