選考委員特別賞
第9回 看護・介護エピソードコンテスト『だから私は頑張れる』
中村 正弘さん

八十路でも寺の階段上り下り盆の一日娘の気分

地方紙の文芸欄に載った妻の短歌である。この歌を詠んだ日から間もなくして妻は倒れた。七月末の暑い日の草刈り中のことで、熱中症かと思われたが脳梗塞だった。

搬送された市の医療センターの医師は「一分一秒を争う手術です。覚悟してください」と言い残して慌ただしく手術室に消えた。生きてさえいてくれればいいと思った。

一命は取り留めたが、右上肢全廃、右下肢重症、記憶障害、失語症と多岐に亘る機能障害が残った。中でも記憶障害と告げられたときには、暗闇に突き落とされた思いだった。

コロナ禍にあり、それからひと月面会も許されず、妻と会えたのはリハビリ専門の病院への転院当日のエレベーターの中であった。しかし私の問いかけに、妻は虚ろな目で私を一瞥しただけだった。

それから五ヶ月の間、看護師や介護士の言葉から妻の状況を聞きたくて、週に二回車で片道五十分の病院に通った。もちろん面会はできなかったが、二回ほど廊下のガラス越しに、杖を突いて歩行している妻の姿を覗くことはできた。

年が明けて退院の日が決まった。私は家内を受け入れる準備に取りかかった。それは私自身の断捨離を伴うものだった。多少の思い出のある物も書籍も全て処分して、妻を受け入れるに足る我が家の環境を整えた。ケアマネジャーの助言がうれしかった。

一月の下旬に家族指導ということで病院に呼ばれた。よく分からないまま病棟に案内され、初めてベッドに横たわる妻の傍らに立った。なんとオムツの当て方の指導だった。妻は、私に下半身をさらけ出しオムツを当てることを許した。私のことを覚えている。この時初めて妻の記憶の中には私がいることが確信できた。

寒い日の退院だった。妻は久しぶりの街中の景色を見て、「へえ」とひとり頷いている。私の言葉を理解し返答もする。私は、妻は全て分かっていると思った。半年ぶりに見るわが家を見て「ああっ」と声を上げ、自分の部屋に入った時、印刷し束ねた原稿を見つけ、「これ、これ」とうれしそうに私を振り返った。倒れる前の妻は、小説や童謡やエッセイを書き、幾つもの賞に入選したり、公民館で七宝焼教室を開くなどしていたのだった。私はそれらが一気に遠い過去のことになってしまったのを妻はどう思っているのだろうと思った。

私の介護生活が始まった。

三月の寒い夜、隣の部屋に寝ている私の耳に呻き声が聞こえてきた。それが妻のものであると分かってはね起きて駆け寄った。妻は両の手を胸の上に置き、カッ、カッという声でもない音を立てて硬直し、全身を痙攣させている。私は大きな声で呼びかけたが、妻は焦点の定まらない目を剝いている。私は頭が真っ白になりながら、救急車、と考えた。焦っているためスマホをどこに置いたのか分らない。諦めてリビングの固定電話から救急に連絡した。「火事ですか、救急ですか」「救急です」応急の処置を指示されても、妻は離れたところにいる。どうにもならない。仕方なく受話器を置き、妻の元に戻り、救急車を待った。

深夜二時半の病院の廊下は薄暗く寒かった。妻の入った検査室から機械音が聞こえてくる。聞き覚えのあるMRIの作動音だ。妻は帰れるのだろうか。保険証や薬、杖や靴も忘れなかった。ああ、靴下を忘れた、などとさまざまなことを頭に浮かべていた。

大事には至らず帰れることになったが、当直医から「脳に障害を負っていますから、これからもこうした発作は起こります」と言われた。

近くに住む義妹に迎えに来てもらった。外は白々と明けて、いつの間にか冷たい雨が降りはじめていた。妻も自分の身に起きたことにショックを受けているようで、車の中で口を開くことはなかった。

私の介護生活はようやく三ヶ月を過ぎた。まだ始まったばかりである。

介護には終わりがない。問題や悩みは次から次へと起こる。まるで「達磨落とし」だと思うことがある。ひとつ払っても、またドスンと上から落ちてくる。

けじめなく続く一日の家事が終わる。夜は二人でテレビを観て、妻は八時頃にトイレに行き、ベッドに横になる。それからほとんど二時間おきに目を覚ましトイレに起きる。引き戸一つ開けるにも杖を離さなければならない。トイレットペーパーをたたむにも難儀。半分眠ったような状態での歩行は更に危うい。だから、どうしても見守りが要る。しかし、これまで一旦寝たら朝までぐっすりの私には、二時間おきの介助は正直辛い。
「おとうさん」と遠くで呼ぶ声がする。しばらくしてその声は再び聞こえてくる。「おとうさん!」心細そうな声にはっと妻だと気づいて、慌てて「ああ、いくよ」と応える。
「ああ、よかった」と安堵の声が返ってくる。妻には私しかいないのだ。

私も今年八十歳になる。いつ、どうなるのかは知る由もない。妻と私の生活もあなた任せである。阿弥陀様のてのひらの上にあるのだから。

あしたもきっと「これ、これ」に始まる。「これ」に続く言葉のない妻の意志を理解するのは難しい。だがなんとか分かってやりたい。妻の頭の奥にあって、しかし決して口からは出てこない言葉。「これ、これ」とか「こう、こう」の裏にあるその言葉を少しずつではあるが推し量ることができるようになってきた。私がその言葉をいい当てた時の妻の顔は、ほんとうにうれしそうで、私の心まで満たしてくれる。だから私は頑張れる。