第9回 看護・介護エピソードコンテスト『愛のかたち〜幸せな人生のために』
小松﨑 有美さん
小松﨑 有美さん
あなたとの出会いは夏。悪性リンパ腫で余命宣告を受けたあなたは、終の棲家としてここを選んだ。だが副作用によって両目を失明したあなたは一日中部屋に引きこもってしまう。食事も、服薬も、着替えすらも拒否。自分でできない歯がゆさ、きっと、あったと思う。突然真っ暗闇に放り出された苦しみは計り知れない。だからこそあなたを笑顔にしたいと強く思った。残された時間がわずかであれば、尚更。
「目が見えても、見えなくても、介護の基本は同じ。その人の心の声を聴くことよ」
先輩は私に助言した。その言葉の意味を考えながら、毎日あなたに声掛けを続けた。すると最初は返事すらなかったのが相槌を打つようになり「傍にいて欲しい」とまで言ってくれるようになった。
そんなある日。
「ねえ、お願いがあるんだけど……」
あなたが気まずそうに言い出した。いいんです。遠慮しないで。私もそう思いながら「どうしましたか」と言うと、たったひと言。
「からしまに帰りたい」
辛島。そこは彼女のふるさとだった。
翌日私たちは早速検討に入った。
しかし開始早々、計画は暗礁に乗り上げる。急変したら?酸素吸入は?そもそも近くに病院は?挙げたらキリがない。医師は医師で難色を示す。
「それならこれで……」
あなたは私に自分のデジカメを差し出した。
「私は目が見えないから写真じゃなくて、音声付きの動画で撮ってきてほしい」
「わかりました」
翌週私はひとりで熊本へ向かった。駅をおりると一面イグサ畑が広がり、懐かしい畳のような香りが漂う。思わず売店でイグサポプリを買った。そのあとは母校を訪問し、ひたすらカメラを回す。グラウンドに響くノック音。音楽室から聞こえるブラスバンドの音色。事情を話すと校歌も演奏してくれた。その日はちょうど夏祭りとあって、最後に『火の国太鼓』の様子をビデオにおさめた。目が見えないあなたにとってすべての『音』は心の故郷。だから願った。信じた。あなたが喜んでくれることを。
しかし、である。懐かしい香りや母校の様子に喜んだのもつかの間。あなたは祭りの動画を見るなり表情を曇らせた。
「やっぱりビデオでは……」
物足りない。そう言わないまでも言いたそうな表情。確かにその通りかもしれない。画面越しでは音は感じられても、細かいディテールまでは感じられない。太鼓の前を通った時に伝わる振動や、踊り子たちの熱のこもった息づかい。それはそこにいるからこそ。
「お祭りをやらせて下さい」
私は施設長に頭を下げた。このあと夏祭りの準備は急ピッチで進められた。何せ『ふるさと』をそのまま再現しなければならない。連日和太鼓の練習に加え、合間を縫って装飾の準備。できると信じた。やってやる、と言い聞かせた。それでも提灯にかいた『辛島』の文字は、最後、腱鞘炎の痛みで震えた。
「さあ、火の国太鼓の始まりです。皆さん、輪の中へ!」
浴衣に着替えたあなたは踊りの輪の中へ入った。おそらく身体が覚えているのだろう。音を聞いただけで自然と手足が動き出す。
『アッアッ!アソレソレソレソレ!』
威勢よく響きわたる声。たちまち『フロア』は『ふるさと』になり、『あなた』は『少女』に戻った。そのあとも「太鼓を叩いてもいいかしら」とバチを握り、叩き終えると「こんなに興奮したのは久しぶりよ」と息を弾ませる。
そんなあなたは「思い出に」とカメラを取り出した。一枚、二枚……。次々とシャッターを切ってゆく。果たしてピントは合っているのか。見ているこちらも少し不安になる。だけどあなたは、最後、写真を撮るふりをして泣いていた。嬉しくて泣いているのか。はたまた死が頭をもたげるのか。はっきりとはわからないがとてもやさしくて、やわらかい涙だった。
数日後。現像した写真を見て驚いた。まるで目が見えているかのような美しい写真。もしかして本当は見えている?いや、そんなはずは。するとあなたは「目が見えなくなってからわかったんだけど」と前置きしながら、こう言った。
「声って表情なの。ここには笑顔の声がたくさん溢れてる。だから私も自然と笑顔になって、いい写真が沢山撮れた気がするの」
写真は、写心だ。あなたが美しい写真を撮れる理由がなんとなくわかった。
「おかげでいい思い出ができたわ。目は見えなくても心のシャッターは沢山押せたの。それは全部あなたのおかげよ」
そう言ってあなたは両手の人差し指と親指でカメラのフレームを作った。
「はい、ピース。これが最後よ」
指のフレーム越しに見せる笑顔。何だかどうしようもなく切なくて。最後はこちらが泣き笑いっぽくなってしまった。三日後、あなたは静かに旅立った。
そんなあなたとの別れを通じて考えたことがある。誰もが望む最期の“かたち”。それは、きっと、ひとつではない。目が見えようと見えまいと、もっと言えば、介護レベルも関係ない。大切なのはその人の『こうしたい』に全力で寄り添う姿勢。そのための介護士。介護とは身の回りのお世話をする仕事だと思われがちだが違う。本当はその人の手や足になることじゃなく、心の声を聴くこと。その想いを叶えるために全力を尽くすことなんだ。
『介護』という二文字のなかに、どれだけの愛のかたちがあるんだろう。これだけは言い切れる。そのひとつひとつが尊いと。
これからも私はこの道で生きてゆく。たとえ限られた命でも最後まで心のシャッターを押せたらいいし、幸せな人生だったと思ってもらえたら、もっと、いい。そんな気持ちであの提灯を見るとなぜだろう。辛島の『辛』の字が『幸』に見えて、胸が熱くなった。