大賞
第9回 看護・介護エピソードコンテスト『偶然とコトバ』
脇本 優佳さん

看護師さんになりたい夢を小学生の頃から持ち続けていた私。

「一人住まいはダメ!」

という両親の条件を満たすため、私にとっては少々偏差値の高かった大学の看護学部に猛勉強の末に合格した。

よくいえば繊細、感情障害の私は、中学生の3年間は、記憶がないほど精神的に荒廃し、自傷行為を繰り返しては入院を繰り返していた。

しかし、何度目かの入院で隣のベッドのおばあちゃんの言葉で私は変わった。

「お嬢ちゃん、クスリはおやつじゃないよ」

「お嬢ちゃん、生きてりゃ気持ちのいいことたくさんあるよ」

「お嬢ちゃん、テキトー憶えりゃ、すぐ治るよ」

ご本人によると、妄想が激しいクソババアを、家族が無理やり入院させたそうだ。話しぶりがコメディアンみたいに面白く、どこまでホントかわからなかった。でも、その言葉はすべて本質を突かれているようで、ストンと私の腹に落ちていた。

退院し別人みたいに明るくなった私を見て、両親はものすごく喜んだ。憑き物がどこかに逃げたみたいだと母は、大声をあげて泣いた。

私は、そんな両親を見ながら、まったく違うことを考えていたのを思い出す。それは、「偶然」という存在だ。

たまたま、あのおばあちゃんが隣のベッドにいた。

この偶然は、私だけの秘密にしておこう。誰かに話をすれば、効果が消えそうな気がした。

そのかわり、これからは偶然を振りまくほうに回りたいと本気で思った。そう、私が看護師になりたいと決意した瞬間だ。

大学でのゼミは迷うことなく精神看護領域に入った。

そして、最終年度になったばかりの春の実習で遥と出逢う。

遥は17歳の女子高3年生。多量服薬で、2日前の夜中に担ぎ込まれ胃洗浄、左腕の内側数か所に自傷と思しき切り傷が広範囲にあり、包帯がグルグル巻きにされていた。

実習初日、私は病室の外から、ぼんやり窓の景色を見ている遥を見ていた。

「いちばん接したく、いちばん怖い患者さんだ……」

言葉にするのを躊躇っているのを見透かしたように、

「ああ、昨日来た子。いろいろ持ってるよ」

教育係をしていただく中堅看護師のМさんが、背後から肩を軽くたたいた。

「……いろいろですか」

「常連さんなの」

「常連!」

こんなくだけた言い方に驚いたが、ハラを据えて接しろよと指導されているのだと感じた。検温が私の仕事だったが、Мさんに連れられて遥のベッドを訪問し自己紹介した。

「大学生の看護実習!いいな」

遥は上半身を立てて、丁寧に頭を下げた。肩までの髪を後ろでひとつに束ねている。古典小説に登場するような美少女だ。視線は落ち着いていて、脱力感や倦怠感もない。

数分談笑したのを憶えている。病室を出るとMさんが、

「初回はあれでいいよ。でもね…」

「はい…」

「介入し過ぎないようにね」

「……」

「やってしまうんだよ。精神科看護アルアル」

私はハイと元気よく返事した。

それから、5日後。予期しない事態が発生する。

Mさんのアドバイスを心得ながら、遥と会話をすることになった。わかったことがある。会話のどこかで、遥は必ず暗い表情になって、数秒沈黙するのだ。微笑の綺麗な美少女だけに、その変化が際立ち、恐ろしい空気を振りまいているように感じた。

「私、橋の上で拾われて、乳児院で育てられたの」

私の薄いメイクを褒めてくれて、いささか気分よくなったときにこのセリフ。時間が止まり湿った風が襲ってきた。

「えっ…」

共感はいいが同情は禁物。ゼミの先生から何度も言われていた。

頭の中で、適切なコトバを探す。出てこない。

「共感、共感、共感」

遥が私のコトバを待っている。

「たいへんだったね」

たいへんというコトバは、労いの意味で広範囲に使えると学んだからだ。同情ではなく、共感だ。

「そんな、言い方しなくてもいいでしょう!」

遥の怒声が響き、男性看護師がすぐそばに駆け寄ってきた。

「どうしたの?」

私は、冷静さを装い顛末を説明した。

「なんで、たいへんなの、なんで!」

わかった、落ち着こうと、男性看護師は遥をなだめ、私に目で、退室するように指示した。

私は、ナースセンター隅の椅子に腰かける。意味のわからない涙がいっぱい流れ落ちた。

おばあちゃんからいわれたような気の利いたコトバを遥に贈りたいと思っていた。快復してほしかった。偶然のチカラを遥に感じてほしかった。

でも、気の利いたコトバどころか、逆ギレとは。傲慢だったのだ。私は。

看護の成果が欲しかったのだ。かつての自分を遥に投影させ、理由が未だにはっきりしない当時のモヤモヤした気持ちを払拭したかったのかもしれない。

「彼女に謝りたい」

終礼でMさんに申し出る。

「大丈夫、しばらく担当離れようね」

やさしい対処に身が染みた。

遥は1週間ほどで退院し、顔を合わすことはなかった。

それから半年。大学の食堂で過去問を友達と解いていた。

「あ~、やっと見つけた」

制服姿の女子高校生3人組。

「えっ、ああ!」

私は、呆気にとられた。遥だ。

「友達と大学見学会、来たんです」

さらに、美しくなっている。

「あの時、スミマセンでした」

ペコリとお辞儀をした。

「いや、こちらこそ」

ワケのわからない返答をする。

「あの~」

「はい?」

「あれ、憶えています。橋の上…」

「えっ、うん…」

口籠りながら、うなずいた。

「あのこと言えたの、Yさんが初めてなんです」

「そうなんだ」

半年前の重い空気が蘇る。

「お礼、したくて」

「お礼って」

私は、右手を何度も横に振った。

「あのこと言ったら、スッカリ自分が変わった気がして。やる気でてきて、私も看護師したいなって!」

私と遥の友達から一斉に大きな拍手が起こった。

こういうのを自己開示と言うんだっけ。私は、気の利いたコトバを届けることはできなかったが、相手のコトバを引き出すことができたみたい。なんの努力もしていないのでモノ足りないが、まあいいか。

看護には答えがない。難しい。でも、信じていればいろんな偶然が味方してくれるのかもしれない。私は看護師2年目。遥は大学2年生。