選考委員特別賞
第7回 看護・介護エピソードコンテスト『この笑顔を守りたい』 二村 直子さん

娘のきれいな白い首を見ていると、罪悪感で胸がつぶれそうだった。薄暗い病室で、水色の手術着に着替えた娘は何も知らずに

「あーっし」「あたーちゃん」

と、私と夫をいつものように呼んだ。娘の声を聞くのは、この日が最後になった。

娘は進行性の筋肉の病気だ。産後半年で娘の病気がわかり、悲しい未来を突きつけられた。だんだんと筋力がなくなる。いつか人工呼吸器が必要になり、気管切開もしなくてはならない。私は目の前が真っ暗になった。

「未来のことは考えず、今日を大切に、明日を楽しみに」と娘を育ててきた。そうしないと私の心が壊れそうだったからだ。

「成長が病気に勝っている時期」は、少しずつできることが増えた。おすわりや寝返りはできないが、仰向けに寝転んで手足を動かして遊べた。泣いて嫌がった食べることも、おかわりをせがむほど好きになった。

知的障害もあるので会話を理解することは難しいが、声を発しながら人とおしゃべりをすることが大好きな子に育っていった。

八歳ごろから手足の可動域が狭くなり、「成長が病気の進行に負けてきている」と感じ始めた。食事を誤嚥してよく噎せた。ひどい時は肺炎になり長期入院することもあった。

結局、十歳で胃瘻を造った。娘のお腹に穴をあけることに、最初は抵抗があった。でも無理してしっかり食べなくても、経管栄養で必要な栄養を確実に摂れる。そう考えれば、私も夫も前向きになれた。

「少量でも口から食べ、味を楽しませてやりたい。一口でもいい。家族と同じものを食べさせたい」と、胃瘻を造ってからも、毎日ペースト食を数種類作った。でも徐々に、たった一口ですら「食べれば噎せる」を繰り返すようになった。

「これ以上食べさせるのは、親のエゴじゃないかな。」

と夫に言われ、自分が意固地になっていることに気づいた。娘は以前ほど、食べることを楽しんではいなかった。十三年間食べさせることに必死になってきたが、もう娘を食べることから解放してあげようと思った。

味を楽しむことを失っても、娘は笑顔を絶やさずいつも陽気だった。「まだ楽しめることがたくさん残っているから、お母さん心配しないで。」と私に言っているようだった。

高校生になり、思いもよらない症状が現れた。左目の眼球がとびだしてきて、白目に黒い斑点ができたのだ。急激に緑内障が進み、すでに左目は失明していた。右目も同様の状態で、視力はほぼ無くなっていた。

急に、見る楽しみまでも奪われた。暗いところの苦手な娘の不安は、どれほどだっただろう。それでも娘は見えない目を輝かせ、全力で学校生活を楽しんだ。「よーっし」「たたた・・・」と声を出して、いつもまわりを笑顔にしていた。

娘にとって「声を出すこと」が、たった一つの「能動的」な自由だった。何としても声だけは守ってやりたいと思った。

それでも病気は進行する。呼吸状態は年々悪くなり、気管切開を何度も主治医に勧められた。マスク式の人工呼吸器を導入して猛練習し、なんとか使えるようになった。これで気管切開をしなくても呼吸は楽になり、娘の声を守れると思っていた。

だが二十歳を前に、いよいよ痰が上手く出せなくなり、自分の唾さえも誤嚥するようになった。頻繁に熱が出て、通所している施設も休みがちになっていった。

主治医から、喉頭と気管を分離する気管切開を勧められた。唾を誤嚥する心配がなくなるうえに、もしも感染症などで急変しても、命を助けられる。何より命が最優先だ。気管切開を拒否する理由は、もう私にはなかった。

気がかりは娘の気持ちだ。気管切開を理解できるわけでもなく、突然大切な声を失う。娘の失望を想像しただけで苦しかった。頭で納得しても心が許せず、私は時より過呼吸になり、何度も息ができなくなった。

手術が終わり、手術室から出てきた娘の首からは、カニューレが突き出ていた。眠る顔は青白くて、無抵抗の塊のようだった。

「頑張ったね。ごめんね。」

と頭をなでて、娘が目覚めるのを待った。

麻酔から覚めた娘は、声を出そうとしても出なくて不安そうに瞳をさまよわせていた。

三時間ほど経ったころ、「チェッ、チェッ。」と音がした。見ると娘が舌打ちをして音を出している。たった三時間で新しい声を見つけ出し、「私は平気だから」と得意そうに笑っていた。

「すごいね。声が出てるね。すごいすごい!」

と、娘を抱きしめた。

夫も泣いていた。

痛くて怖かったはずだが、新たな言葉をもう手に入れるとは。「この子は強い」と思った。私たち親が、逆に娘に元気づけられた。

娘の頭に円形脱毛を見つけたのは、退院して久しぶりに髪を洗ったときだった。強いストレスだったのだとあらためて思った。申し訳なくて、泣きながら髪を洗った。

気管切開の手術からもう四年が経つ。首の穴は、娘の命を守る頼もしいお守りだ。

「チェッ、チェッ」と舌打ちしながら人を呼んだり返事をしたり。おしゃべり娘は、人とのやりとりを今も存分に楽しんでいる。

見えないはずの目は、心の中まで見えているかのようにこちらの気持ちをとらえ、その笑顔は言葉以上の思いを伝えてくる。

たくさん、大事なものや楽しみを奪われてきた。病気の進行も止められない。しかし娘はその度に進化をしながら適応し、笑顔を絶やすことはなかった。

娘のこの笑顔だけは奪わないでほしい。

娘を私から奪わないでほしいと心から思っている。

先のことは考えない。娘との明日もどうか幸せな日でありますようにと、今日も願う。