選考委員特別賞
第5回 看護・介護エピソードコンテスト『傾聴ちょボラ』 渡辺 勇三さん

介護のホームヘルパー講習を受講した後、福祉施設への就職を希望したが、70歳を過ぎては無理とやんわり断られ、ボランティアを名乗り出た。

家から車で約20分の山麓に近い介護老人保健施設に向かったのは、介護講習の実技指導を一週間受けた馴染みからだった。

「こんな私に何かお手伝いできることはありますか」。施設長にずばり尋ねた。

「何でもとおっしゃるのなら、どうですかお年寄りの話し相手は。若いスタッフには荷が重くて、腰が引けてましてね」と返事が跳ね返って来た。

大浴場の掃除でもと考えていた私は、「間に合うかどうかは分かりませんが、お役に立てられるよう頑張ります」と応えた。

翌日にさっそくお邪魔すると、米寿を迎えた元会社役員さんを紹介された。何となくぎこちなかったが、数日に打ち解けて聞かれるままの会話がぽんぽん弾み、時に出る大声や笑い声が他の入所者やデイサービスの利用者の間で少し話題になった。

毎日のように新聞を読まれ、あんたはこれをどう思うかと聞かれて率直に受け答えし、一段落すると、敗戦や安保法、大地震に一強多弱といったフレーズを次から次へ持ち出されて話が途切れることはない。

一つの話題がまた別の話題を呼び込むので気は抜けず、緊張しながら物知りさんと話し続け、いつも一時間の予定が大きくオーバーしてしまう。

ある日ふと、施設長に呼び出された。ボランティアでも、話し相手の聞き役に徹するようにとお小言を覚悟したが、実はそうではなかった。

「物知りさんだけじゃなく、ここにお住いのみなさんとの語らいやふれあいの場を仕切って欲しくて、ここは一番やってもらえますかね」と、笑顔いっぱいに持ちかけられたのには驚いた。

施設長の案内に、食堂も兼ねる大広間には車椅子の人も含めて20人ほどが集まり、テレビの話題や施設内のコミュニケーションに花が咲き、回を重ねるごとにアットホームな雰囲気が流れていった。

この「傾聴」は週に二回のボランティアだったが、ふた月経ったところで施設長はまた私を呼ばれた。今度は何をといぶかったが、とんと見当がつかない。

「ずばり言いますが、うちの非常勤職員になりませんか。あなたの都合にお任せの出勤でいいんです」と話された。まさかとは思ったが、ボランティア創業を夢見た頃もあり、たまらなく嬉しくなった。

「私よりも人生のベテランとフランクにお話ができ若返ったと感謝するのに、報酬も頂戴できるのは本当に幸せです」と快諾したら待ってましたとばかりに、新しい仕事が待ち構えていた。

「珍しいかもしれませんが、当方には川柳や俳句、短歌を楽しむ方が結構おられます。しかし、私たちでは対応に難があり、このサークルの事務局と会報誌の文芸担当をぜひともお願いします」。施設長が嬉々として一気に話されるではないか。

最初に応対したもの知りさんは大の川柳フアンで私と意気投合したのは確かだが、そのへんを施設長やお仲間に打ち明けられ、ひょいと瓢箪から駒が出たみたい。

私も投稿者の一人で楽しませてもらう条件で話が進み、集いのサークル名を「聖(ひじり)の会」と決めた。デイサービスの方も加えると70代から80、90代の約30人をメンバーに毎週土曜日に催す句会が待ち遠しくなったのは言うまでもない。

口コミか、川柳の参加者がだんだんと増えてゆくのはワクワクする。お題を決め、輪番で司会や記名係を手分けし、みんなで入選作やお知らせを貼り出すが、「ひじりの会」の膨らみは手に取るように分かる。

介護実習でお世話になった施設はどこも同じようなもので、館内は静まり笑み笑顔をあまり見かけなかったが、ここは違う。いきいきと声を掛け合い、時として笑いが響き合うのは心楽しいものだ。

「薬より笑って治す気の病」、「年寄りが大志を抱く長寿国」、「一つ知り三つ忘れていくショック」、「年金を百までもらう腹づもり」、「消費税慣れたら次は長寿税」などとウイットに富み、今をものの見事に切り取る五七五を目の当たりにできるのがこの上ない喜びになった。

俳句や短歌、エッセイもその数こそ少ないものの同好者がおられ、素人ながら私も選者を務めて作品を展示し、句意や意味を披講し合っている。

これまでは部屋食だった方が大広間にやって来て、新たにデイサービスの方も増えて人を呼び込む場になり、このホーム全体に明るさと和みが出てきた。「ひじり」の盛り上がりを実感できるのはありがたい。

人さまに難しいことは何も話せないが、笑う門には福来たる、笑顔は人間関係をスムーズに、笑うてなはれや怒ったら損でっせ、人に優しく、自分に厳しく、ちょっとだけアホになっとくなんてことを話しかけると耳を傾けてもらえるのが快感になった。

調理師さんから、みなさんの食事の量がやや増えつつあると聞いた。脳トレの好循環なのか、活気を感じ取れる。

たかが傾聴、されど傾聴。余生に心の躍る日々を送るしあわせを今のいま、しみじみと味わっている。