優秀賞
第5回 看護・介護エピソードコンテスト『「対話する」ということ そこから見える本当の願い』
古澤 奈都美さん

「私、今まで誰にも言えなかったけど、本当は旦那が大嫌いなの。できれば最期までここにいさせて……」

初夏の風がそよぐ季節、病室でふとそう漏らしたがん末期患者のAさん。その突然の告白に僅かな驚愕と動揺が胸を占め、私はベッドに横たわっている彼女を暫し見つめるほかなかった。

私は当時、新卒から異動もなく外科病棟に勤めている5年目の看護師だった。Aさんは数年前から胃がんのため闘病生活を送っていた患者であり、とうとうクルッケンベルグ腫瘍(胃がんからの転移性卵巣腫瘍)を発症。それら治療のため、年度も変わるかという頃合いで入院してきた70代の女性である。彼女は物腰穏やかでとても品があり、更に聡明な印象を受け、私はそんなAさんの担当看護師になった。

今回の入院では転移性卵巣腫瘍の精査目的で手術を施行。結果として、手術で切除可能な大きさを超えていたため、放射線治療と抗がん剤での治療を余儀なくされた。既に終末期に差し掛かり、余命は2か月ほどという逼迫した状態だった。

さて、件の旦那の話だが、Aさんの夫はほぼ毎日といっても過言ではないほど足繁く病室に通い、職員としては「あの旦那さんはいつも面会に来てくれていて、Aさんも嬉しいだろうね」という見解であった。であるから、私も“おしどり夫婦”の片割れともいえるAさんの夫にもよく声を掛け、コミュニケーションを図っていた。

外科病棟は手術や急変患者、重症患者も多く、常に忙しなく動き回る環境であったが、私のなかでも「終末期にあるAさんとの時間を大切にしたい」という気持ちがあり、終業時刻を過ぎてやっと落ち着いた頃にAさんとゆっくり話す時間を設ける、ということもままあった。

夫とAさんそれぞれと関わりを持っていたが、そのなかでAさんから、夫と同居の長男(未婚)は折り合いが悪く確執がある、という話を聞いた。なんでも、『夫の頑固でどうしようもない性格を長男がそっくり受け継いでしまい、お互いにいがみ合っているのよ』と。

その話と同時期、夫と話していると、Aさんに対して『あいつはまたずっと寝てばかりで、本当にどうしようもない。いろいろご迷惑かけますがお願いします』という、一見へりくだっているように見えてやや貶しているともとれる発言が目立つようになった。なんといってもAさんは、抗がん剤治療や放射線治療まで行い、体も心もボロボロの終末期にある。寝ているのだって好きでしている状況ではないということは、火を見るより明らかだ。しかも医師から、状態については逐一話がされている。“おしどり夫婦”と思っていた2人と話せば話すほど、靄がかかったように、私自身も何かが引っ掛かっていた。

ひと月ほどそんな状態が続き、Aさんは徐々に衰弱していった。食事もままならず、鎖骨下に高カロリーの点滴を投与するための受け皿を作る簡易な手術が施され、その点滴で凌いでいるような状態になった。トイレの移動もやっとで、見守りも必要になってきていた。自宅に帰るなら今がタイミングだった。「最期の時は住み慣れた我が家で迎えたい」という時代の流れは当然Aさんにも当て嵌まると思い、Aさんも「帰りたい」と言った。どこに、とは言わなかった。在宅看取りの方向にシフトしていく段階が、これを逃したら、もうそれはほぼ困難となるのだ。

私は、Aさんを命の灯火が消える前になんとか家に帰らせてあげたい、その願いで必死になった。例の夫にも、長男にもそれぞれ密に連絡をとり、話をし、退院できるよう調整を図っていった。しかし途中で、参った様子の夫から「あいつ、今度は帰りたくないって言ってるんですよ。あんなに帰りたいって言ってたのに、どうすればいいやら……」と。
おや、と思った。Aさんときちんと話をする必要があると思い、残っている日勤業務をやっつけて午後8時、休んでいるAさんにも忙しい夜勤スタッフの邪魔になることにも申し訳なさを抱きつつ、彼女の部屋をノックした。

そこで耳にした、冒頭の言葉。言葉を失いつつも、私の靄は晴れ渡るようだった。いろいろな噛み合わない歯車は、このせいだったのかと合点がいった。それから私とAさんはたくさんの話をした。やれ『夫とは見合い結婚、愛なんて欠片もなかった』だの、『若いころ私が原付で事故をしたとき、あの人は“治療費なんか出さないぞ!”と怒鳴って、私は泣く泣く実家にお金を借りに行った』だの、出るわ出るわ恨み節。私はもう、親友がダメ男に誑かされたときのような気分になり、いかんと思いつつも、Aさんと一緒になって夫をけちょんけちょんに言ってやった。

一頻り話をしたあと、彼女は『家には帰りたいの。でも、あの人とあの子(長男)がいる家は本当に空気が最悪で、二度と戻りたくない。私にはもう帰る家がないのよ。だから最期までここにいたい。……話を聞いてくれてありがとう、本当にほっとしたわ』と静かに話した。私はAさんへ本当の思いを打ち明けてくれたことに感謝を述べ、ここが彼女にとって安心できる場所になるよう、安らかに最期を迎えるための場所になるよう約束した。「家」とは、別に今まで住んでいたところだけを指すのではないと思った。

家族には流石に「彼女は夫が嫌いなんです」とは言えないので、のらりくらりと「もう家に帰るのは本人も辛いようです」という旨を様々なニュアンスで伝えた。医師、スタッフにもこれを周知し、医師からも再三話をしてもらうよう調整した。家族は最期まで受け入れられなかったようで、まだ生きられると思い最新の治療ができる病院に転院を、と言っていた。夫だけは、Aさんがものも言えなくなってきた頃には何かを悟ったように、静かに病室で朝から晩まで付き添っていた。

最期、Aさんは大嫌いだった夫に見守られ、病室で安らかに息を引き取った。

私はAさんと出会えて本当に幸せだった。天国でも安らかに、と今でも願っている。