優秀賞
第10回 看護・介護エピソードコンテスト『トゥー・ノートブックス・フル・オブ・ヘルプ』
尾崎 紀子さん

「あなた、この辺で有名よ」と、八百屋さんで突然声をかけられた。「お父さんのお世話よくなさってるって」「買っているものを見るとね、よく献立考えてバランスいいものを作られてるのね」冷や汗だ。私だけじゃないんです、ヘルパーさんにいいものを作っていただいているんです、と、ごちょごちょとしゃべる。

病気発覚は2021年4月、89歳になったばかりの父は間質性肺炎と診断され、24時間在宅酸素のチューブが離せない生活になった。父の発病後、仕事を抱えて平日に2日、プラス日曜日、父のもとへ通った。ちょうどコロナ禍で在宅勤務制度が始まり、私と父にとってはそれは都合がよかった。

頭がしっかりしていて意志を持った父は「入院はしない」「延命治療はいらない」と宣言した。通院から訪問医療と訪問看護に切り替え、本格的な在宅介護生活が始まった時、まず一番の問題は食事のことだった。亡き母に家事の一切を任せてきた父はいわゆる「配食」は食べたくないという。かといって私も毎日食事作りには来られない。しかし栄養は摂らせたい。せめて手作りの食事が食べたい、これは病人のわがままだろうか。元気な時は外出大好きで、外で気ままに食べる楽しみもあったのに、もう一切それができないのだから食事くらい希望に寄り添ってやりたいという思いがあった。ケアマネージャーさんは請け合って下さり、食事作りにヘルパーさんが交代で2名来てくださることになった。介護保険のありがたさが身に沁みた。しかし、「はじめまして」のヘルパーさんに作っていただいたものを人一倍神経質な父がちゃんと食べるのか、という不安が大いにあった。味は、「作る人」の味だ。「味付け、ご希望言っていただいていいんですよ」と言われたが、やはり遠慮があるようだった。お世話になっているのと、関係性をよくしておきたい、多忙なヘルパーさんたちにあまり負担をかけたくないと考えていたようだ。そのうちだんだんと波長があってきて、「おいしかった」と自ら伝えているようだった。父にそのくらいの社交性があってよかったと思った。メニューをいちいち考えるのはどこの家庭でも大変だ。基本、すれ違いで会えないヘルパーさんとわたしは「交換ノート」を作った。「いつもありがとうございます。夕食下記でお願いいたします」に続けてリクエストを書いた。

私:豚肉生姜焼き、あるいは牛肉のしぐれ煮(お肉は冷凍庫に1回分ずつ分けてあります)/副菜一品 お時間あれば、ポテトサラダお願いします。色々野菜あります/お味噌汁 具は何でもOK/ごはん 炊かなくて大丈夫です/先日の肉じゃが、おいしかったと喜んでおりました、ありがとうございました。

ヘルパーさん: お父さんのリクエストで、牛肉のしぐれ煮にしました/ポテトサラダ 次回用にキュウリ買ってください/ほうれん草おひたし(ほうれん草、いたみはじめてるので使いました)/みそ汁(ねぎ、若布)
別の日。

私:金目鯛煮付け(魚はチルドルームにあり、2切れとも使って下さい/小松菜の辛し和え(少量でOKです)/みそ汁(じゃがいも、玉ねぎ、なんでも)

ヘルパーさん:金目鯛煮付け/小松菜辛し和え/みそ汁(じゃがいも、若布)…

また別の日。

私もだんだん疲れが溜まって頭が回らず、メニュー丸投げの日もあった。

私:すみません、私も調子悪く、メニュー考えられずすみません。お任せしたいです。できたら煮物系を一品お願いできますか

ヘルパーさん:大根、人参、いんげん、鶏肉の煮物/ブロッコリー茹で/豚肉生姜焼き/みそ汁(小松菜、大根)/ゴミ片付け、食器片づけしました/娘さん、あまり無理しないようにして下さいね…添えられた優しい言葉にどれだけ救われたことだろう…会えない人の心遣いがありがたかった。時間はかかるが、父はいつもちゃんと食べた。「義務じゃなく食べて、おいしいと思う」とよく言っていた。訪問看護師さんは目を丸くして「すごいですね、こんなに食べられるなんて」と驚かれていた。

季節は廻る。春、夏、秋、冬、それぞれの記録がある。

私:毎日暑いところありがとうございます!/ヘルパーさん:製氷皿にお水入れました/訪問時エアコンがついておらず、熱中症になることを伝えて入れました/私:いただきものですが梨を少し置いておきました、よろしければお持ちください/ヘルパーさん:ありがとうございます。ご馳走様です/ヘルパーさん:急に寒いので、冬ものを探して着替えてもらいました/私:ありがとうございました、ご対応大変助かりました 等々。
こうして、交換ノートが2冊目に入り、父は病気が進行して日に日に息苦しさが増してくる。酸素導入機の数値も跳ね上がった。

私:ここのところ苦しさが倍増していると本人が言っているので、様子がおかしいようでしたらすみませんがご一報下さい。娘携帯番号:〇〇〇〇〇

ヘルパーさん:訪問時、少し苦しそうでしたが、座っていると落ち着かれてお食事とられました。また水曜日に参ります!…一言メッセージに励まされた。

ノートには夕食メニューのやり取りに加えて、緊張感のある報告連絡が増えていき、私も夜に駆けつけたり緊急で看護師さんを呼ぶことも増えてきたある日、

ヘルパーさん:夕食:肉じゃが、ほうれん草胡麻和え、みそ汁用意しました。
訪問時まだ寝ていたので声掛けをして少しお話ししました。まだ起きられないとのことで、昼の食事は寝室に運びました。すみませんがトイレお借りしました。

ここで唐突に交換ノートは終わった。2023年、11月の終わりだった。父は緊急入院し、1週間後に旅立った。

2年くらいでしょう、と言われていた父は2年8か月を生きた。91歳だった。長く生きられた分は交換ノートにぎっしり書かれた、温かい食事と温かい目のおかげだと思う。父の日々をリレーで守っていった記録は、そのまま私の宝物になった。今、しみじみとありがたく、懐かしい。

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