大賞
第10回 看護・介護エピソードコンテスト『母と紡ぐ心の絵本』
天竹 勉さん

母と絵本を読むのを日課としていた。絵本と言っても、絵も文章も私の手作りの粗末なものだ。認知症の進む母の失われていく記憶を、少しでも引き戻そうと、あがいて作ったものだ。思い出の絵を描き、記憶を思い起こさせる問いかけもいれた。母が好んだ童謡も添えた。「母と読み語る絵本」と名付けていた。

この頃の母は、家事や着替えもままならず、自宅を「ここどこ」と尋ねたり、今仕舞ったものを「ない」と騒いだり、夜も目が離せなかった。母自身が自分と抗っていた一番苦しいときだ。

私が息子であることを忘れているときもあった。
「息子だよ」
「へえ、私にこんな息子がおったん」

話しているうちに、瞳に光りが宿り、霧が晴れるように息子と認識する。そうかと言えば、遠い過去の記憶がふと鮮明に甦り、私を驚かせることがある。

その日も、そうだった。私は、座椅子の母を横に、絵本を読み聞かせていた。

母さん

たくさんの楽しい思い出が

うかんできますね

ぼくに 教えて

母の返事を待つ。母が答えれば、後はアドリブで話を紡いでいくのだ。
「あんたと富士山を見たこと」

母が何を言っているのか理解できなかった。私はいまだ富士山を見たことがない。母も富士山を見たことは一度もないはずだ。
「ほら、家を建てて、富士を見たんだよ」

幸せそうに頷く母を見て、忘れていた情景が甦ってきた。

私が幼かった頃、母は私を親戚にあずけ土木現場で働いていた。狭い谷川の堰堤工事だった。ある日、私は親戚の家を出て作業現場まで母を追いかけたことがある。母恋しかったのだろう。突然現われた私に母は驚いたが、叱らず「今日はここで居りな」と言って一日を作業場で過ごさせてくれた。退屈はしなかった。自分の見える範囲に母がいるという安心感があった。

作業中のおじさんたちが話しかけてくる。みんなやせていた。
「坊、大きくなったら、何になるんぞ」
「夢はなんぞ」

何と答えたのか覚えていない。

昼ごはん、母は自分の弁当をさいて、おにぎりを作ってくれた。白いきれいな三角山のおにぎり。おにぎりを手に、母に
「母ちゃん、母ちゃんの夢は何」と聞いた。

母は、しばらく考えていたが、
「富士山の見えるところに住んでみたい」
と答えた。
「富士山?そんなにいいの?」

母は、一度も富士を見たことはなかったはずだ。
「富士は美しいよ。日本一の山だよ」
「母ちゃん、ぼく、大きくなったら富士山の見えるところに家を建ててあげる。ぼくの夢は母ちゃんと富士山に住むこと」

周りのおじさんたちが、どっと笑った。

母は戦争で肉親を亡くし、家も家財道具も空襲で焼かれている。一番苦しかった頃のことだ。自分の夢も希望もあきらめて、貧しい中私を育ててくれていた。

なぜ富士が出てきたのか分からないが、私は家を建ててやることも富士を見せてやることもできなかった。母も期待していなかっただろう。幼児のたわいない約束なのだから。

しかし、母の心の奥には強く残っていた。
「うれしかったよ。涙がでたよ。あれで頑張ってこれた」

遠い昔を懐かしむように細めた目がうるんでいた。
「一緒に見た富士はきれかったねえ」

現実と記憶と夢が混濁している。しかし恍惚としておだやかな表情で話す母の、全てを受け止めたいと思った。息子の一言を後生大事に心の奥に仕舞い、それを糧に生きぬいてきてくれた。親というものは、どうしようもなく切なくて、それでいて強くて有難く歯がゆい。母の生き方が、気高く清らかで雄大な富士と重なる。

私たちは、絵本を読み進める。

ねえ 手をだして

添える手に、母の手の温もりを感じる。
「皺だらけ、節だらけのこんな手になってしもうた」

つらそうに話す母に、絵本で応える。

よく働いた手だよ

苦労をかけたね

ありがとう ありがとう

世界一美しい手だよ

母の手をさすりながら、私は涙を止めることができなかった。

そんな私を見て、何を思ったのか
「何も残してあげずに ごめんよ」と謝る。

そして、こうつけ加えた。
「あんたも、自分の人生、せいいっぱい生きなよ」

衣食住の生活介護は無論のことだが、私は母の心の中に、心の安心基地をつくりたかった。午後のひとときの絵本の時間は、母にとって安息の時間になったと信じている。

母は92才の天寿を全うして、安らかな眠りについた。私と母の絵本は、次のように締めくくっている。母と毎日読んだ絵本の最後のページだ。

私の心の中は

あなたとの思い出で いっぱいです

あなたの子どもであったこと

誇りです

あなたに返すのは

「ありがとう」

大好きな 母さんへ